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陸奥国の国分氏(こくぶんうじ、こくぶんし)は、南北朝時代から戦国時代の末まで、陸奥国分寺付近から宮城郡南部に勢力を張った武士の一族である。戦国時代末に伊達氏から当主として国分盛重を迎えて伊達氏に臣従したが、1596年に伊達政宗の不興を買って滅んだ。 == 概要 == 江戸時代の系図によれば国分胤通が鎌倉時代に宮城郡国分荘を領したのが初めだが、長沼氏の僧が婿に入って創始したとの伝えもあり、正確なところは不明である。南北朝時代に現れる国分氏は藤原姓で、国分寺郷を領し、戦国時代には近隣の土豪を従えて宮城郡南部から名取郡まで勢力を伸ばした。居城としては千代城(仙台城の前身)、小泉城(若林城の前身または近接地)、松森城が伝えられる。北で留守氏と対抗し、南で伊達氏に面して和戦があった。戦国時代の終わりに伊達氏から当主として国分盛重を迎えて伊達氏に従属したが、家臣には盛重に反抗する者があった。1596年に政宗は盛重を追放し、国分の家臣団を伊達家の直属にした。盛重は佐竹氏に身を寄せ、子孫は秋田久保田藩の家臣として続いた。 伊達氏の家臣としては信濃国の出身と伝える藤原姓の国分氏があり、これは江戸時代に太刀上の家格で続いたが、本稿で述べる国分氏とは別である〔佐々木慶市「中世の仙台地方」232頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国分氏 (陸奥国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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